会社概要

会社概要

社名

株式会社山﨑建設

本店所在

〒274-0822 千葉県船橋市飯山満町1-835-19

電話番号

047-422-3012

FAX番号

047-422-3017

メールアドレス

sales@yamazaki-kensetsu.jp

代表者氏名

山﨑 祥司

資本金

1000万円

創業

1910年(明治43年)

設立年月日

昭和29年3月15日

従業員数

10名

資格保有者

一級建築士 1名 二級建築士 2名 一級施工管理技士 1名 一級建築大工技能士1名 宅地建物取引士 1名 

許認可

建築工事業、内装仕上、大工工事業 千葉県知事許可(般-29)第1819号
一級建築士事務所 千葉県知事登録第1-2101-3260号
宅地建物取引業 千葉県知事(1)第17723号

所属団体

住宅保証制機構株式会社
ZEHビルダー登録 ZEH28B-04589-CR
千葉県建築士 船橋支部
千葉県建築士事務所協会
千葉県宅地建物取引業協会

代表挨拶

株式会社山﨑建設
代表取締役 山﨑 祥司
弊社は、曾祖父が創業してから4代、1世紀を越えてこの仕事を続けてきました。
その間、先代から引き継いだ在来工法に外断熱工法を取り入れた家づくりへと進化してまいりました。
  
弊社が外断熱工法を始めてから、はや四半世紀を迎えました。
それは決して平坦な道のりだけではありませんでしたが、私を信じて支えてくれる社員や職方の力を得ることで乗り越えることが出来ました。そして、その経験は「自信と実績」という財産として積み上げられたと強く自負しております。
 
職方の高齢化、人員不足、若手の育成など、まだまだ課題が山積みの業界ではありますが、弊社のような地元に根付いた工務店は今までの強い連帯感をいかし、必ず解決していくことができると信じています。
 
長い年月をかけた伝統を守りつつ、進化を続けるという両面を併せ持つことは、たいへんに難しいことではありますが、しかし、私は次世代に向け進取果敢に進んでいこうと思います。
 
2021年以降、「withコロナ/アフターコロナ時代」における新しい働き方、多様性のある生活様式が進んでいくことでしょう。オンライン化による授業、仕事、テレワークも増え、自宅で過ごす時間が長くなることは必至です。
 
弊社は、松井氏の著書の精神を忘れず、今まで以上に安全で安心して住まう環境をご提案していけるように精進して参ります。
そして最高の家づくりをお手伝いできる工務店で在り続けたいと思います。
 
株式会社 山﨑建設
代表取締役 山﨑 祥司

山﨑建設の歴史

創成期

(明治~戦前~戦後)

当社の歴史は、大谷石で有名な栃木県大谷町出身の初代 渡邉半次が明治時代に大工の修業をした時から始まりました。
当時の船橋は、現在の船橋市役所周辺まで東京湾で、小規模の漁師による漁業と塩田による製塩業が盛んでした。また明治時代中期からは陸軍関係の施設が周辺市町村に数多く設けられたことで、階級の高い軍人の居住が増加するとともに、東京の資産家の別荘なども多く建てられるようになりました。
 1910年(明治43年)、急速に発展する船橋で、初代は棟梁として独立し工務店事業の旗を揚げました。初代は、現在の船橋市宮本町に居を定めて創業しましたが、当時の船橋には一棟の建物の施工を請け負える工務店が数件しかなかったことから、当時の船橋を代表する社交場「三田浜楽園」や、ヤマトタケルが創建したと伝わる「船橋大神宮」の改築工事などでも大活躍しました。
 初代は、自分の3人の息子達もそれぞれ建築関係の事業に進ませ、長男を「建具」、次男を「金物」、そして三男の武盛を「大工棟梁」として、それぞれ教育し独立させました。
二代目を継いだ武盛は、母方の山﨑家の養子となったため屋号「山﨑工務店」を名乗り、初代の築いた船橋での地盤を受け継いで、木造注文住宅を数多く施工し、自らの技能を高めるとともに堅実に社業を拡大しました。そんな時、第二次世界大戦が勃発、武盛は徴兵され、終戦時には満州(現在の中国東北部)に駐屯していましたが、進駐してきたソ連軍の捕虜としてソ連領内で数年間の苦しい抑留生活を送ることとなりました。

復興期

(戦後~高度成長時)

終戦から数年後に抑留から解放されて帰国した武盛は、戦後の混乱期で資材も少ない中、地元船橋で細々と工務店事業を再開しました。苦しい抑留期間中、武盛は「人を育てる」ことの大切さを学び、事業再開後には若い大工を住み込みで積極的に受け入れ、数多くの職人を育て上げました。<br> 1954年(昭和29年)には個人経営から会社組織に改組し有限会社山﨑建設を設立、戦後の混乱期を脱して高度成長期を迎えると、自らが育てた教え子たちと共に多くの木造住宅の建築に携わり、初代の築いた信頼と実績をさらに大きく伸ばしました。

成長期

(昭和~平成)

三代目となる幸三は地元工業高校に進んで建築技術を学び、卒業後にはさらに技術を磨くため東京の工務店で修行を積んでいましたが、1961年(昭和36年)、二代目が病に倒れました。 幸三は二代目を支えるため修行を半ばで切り上げ山﨑建設で武盛と共に懸命に働きました。大工としても優れた技術を持つ幸三は、住み込みの若い職人たちと文字通り「寝食を共に」して仕事に励み、山﨑建設の社是である「技術と心は繋がっていくことで磨かれる」を身をもって体現しました。1961年(昭和36年)には、幸三の長男で四代目となる祥司が誕生、祖父と父の背中を見ながら育ちます。祥司は1983年(昭和58年)、大学卒業と同時に山﨑建設に入社し、祖父、父、孫の三世代で更なる社業発展に尽力することになりました。
 創業から78年目を迎えた1988年(昭和63年)、武盛が亡くなると幸三が三代目社長に就任、時代は昭和から平成に移る時期で、住宅建築業界にも数々の新しい工法が登場、ハウスメーカーは「短工期」「廉価」を売り物とする商品を開発するなど、市場環境も大きく変化してきました。
創業一世紀を経て
現在

(平成~令和)

時代によって顧客ニーズが変化し続けるなか、幸三は祥司とともに「暮らしやすい家」造りとは何かを模索し続けました。「住まいは幸せの器」という基本理念に基づいて、いっときの流行に左右されずに住む人たちが快適でいられる住宅こそが「暮らしやすい家」であるとの結論から、平成元年、鐘淵化学工業株式会社(現:株式会社カネカ)が開発した「SC工法(外断熱二重通気工法)」をいち早く導入、当時は極めて斬新で画期的な木造軸組外断熱工法の家づくりを開始しました。
 1991年(平成3年)に一級建築士事務所登録を完了し、設計・監理・施工の一貫体制が整い、2000年(平成12年)には木造軸組外断熱工法による木造注文住宅造りに励みました。
 創業から93年目となる2007年(平成19年)、三代目は70歳を迎える節目で会長に退き、祥司が四代目社長に就任しました。四代目は初代から積み上げた信頼と実績に加え三代目と共に手掛けた木造外断熱工法を受け継ぎながら、時代に即した新しい技術や資機材を取り入れた「暮らしやすい家」造りを続けています。更に創業から103年を経た2013年(平成25年)からは、山﨑建設が創業から続けてきた「人材の育成」という原点に戻り、若手建築技術者の社員採用を開始、安定した仕事環境を提供し、施工技術の向上と継承による高い施工水準の維持をはかっています。

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